2010/12/02

職人として生きるということ

フリーランスとして著名な中谷彰宏氏は人間の生き方を3つに分類している。経済人、政治人、そして「職人」である。経済人は富を求め、政治人は名声を求め、そして職人はロマンを求めるということだった。職人としての生き方は当時の自分には理解し難いものであったが、最近ではそれが最も洗練されているように感じるのである。

鬼瓦をつくる「鬼師」という職人の話を伺ったことがある。鬼瓦とは大棟の端についた鬼の顔をした瓦である。その鬼瓦を復元させ後世に伝える機能を担うのが鬼師である。

彼らは富、名声ではなくて、如何に後世に伝え続けるかを使命としていた。つまり500年前に別の鬼師によって復元された鬼瓦に手を加え、そして次の500年後の世代に伝えていくのである。それは過去、未来との対話でありそれはロマンがあるというお話を伺った。時代のスケールの大きさに圧倒されてしまったことを思い出す。

ドーキンスの「利己的な遺伝子」ではMemeという新種の自己複製子に関して論じられている(1976 Dawkins)。Memeとは人間の文化や思想などの模倣の単位を指し、遺伝子同様に後世に伝達する働きをする。

つまり肉体としての人間は80年程度しかもたないが、私たちの思想や文化は他者への伝達によって100年、もしかしたら1000年単位で生き続ける可能性があることを彼は本書の中で指摘している。すなわち誰もが「職人としての機能」を先天的に兼ね備えていることを意味しているのではなかろうか。

ボクも経済人でありながら職人でありたい。自分の思想の断片だけでも後世に残せたらと思うのだ。そんなことを日々ボクは考えている。