2010/05/07

21歳のアラバマ大学留学記/日本帰国前夜にて

日本帰国前夜という記憶が真新しいときに今回の留学の感想をつらつらと思いつくままに記してみたい。アメリカという土地は自分が頑張っただけ、返してくれるストレートな文化があった。どんなにくだらない意見でも耳を傾けてくれたし、自分の拙い英語にも真摯に答えてくれた。典型的な人見知りの私が頑張ってこれたのはアメリカという土地だったからかもしれない。「授業」「語学力」「プライベート」「今後の目標」の4点から留学生活を振り返りたいと思う。

1.授業

アメリカの授業は日本と比較をして非常にプラクティカルであった。勿論、経営学は机上の空論なのだけど、なるべく机上とリアルの境界線を外す仕組みがこちらでは確立されていた。

例えば交渉学の授業ではチームでネゴシエーションのシミュレーションのテストがあったし、アントレプレナーシップの授業では実際に50ドル以内という条件でキャンパスでリアルなビジネスを実際に展開した。私のプロジェクトは結果的に損失を出してしまったのだけど、普段の机上の学びを還元するという意味で良い経験になった。

2つ目に視野が広がったことだ。日本は1億人でアメリカを見ていたけど、アメリカでは3億人で世界を見つめていた。今や世界一大きい観覧車はシンガポールにあるし、最大のショッピングモールは中国にある。世界一の大富豪は最近までたった一人のメキシコ人がビルゲイツを抜いて頂点にたっていた。驚いたのはこうしたポストアメリカの事実を学生は理解していたことである。彼らは「自分が経営者であればどこに進出するだろうか?インドネシアだろうか?韓国はどうだろうか?」と自問自答していた。授業では“How to Negotiate with Chinese?”というケースやフランスのパフュームメーカーの事例を扱う機会もあった。日本から世界を見るのではなくて、 世界から日本という"島国"を見るという視点にパラダイムシフト出来たのはひとつの収穫である。

3つ目にフレームワークで考える癖がついたことだ。こちらの教授はBusiness CaseとTheoryが大好きであった。最初に大量のフレームワークを詰め込まれ、それをCaseを通じて消化していくという作業に慣れることができた。教授は「Theoryは地図のようなものだ。多くの地図を持てば持つほど最短で目的地に辿り着くことができる。」という言葉を連呼していた。勿論、完璧な地図は存在しない。だからこそ地図を持ちリアルな世界と照らし合わせながら、柔軟に調整していくことが「理論」という地図を活かす方法であることを学ぶことができた。

2.英語力

目標は大前研一が推奨する「結果の出せる英語力」であった。TOEICだとか資格レベルではなくて、相手を動かす英語力である。この目標に10ヶ月という期間で自分がどれだけ近づけたはわからない。未だに授業は7割程度しか理解できないし、グループミーティングでは議論についていけなくなることが頻繁にある。それでも最後のプロジェクトで自分の案が2つ通ったことは大きな成功体験であり自分の自信に繋がった。

またクラスでは"Diversity"を強烈に感じることができた。教授の一人は中国人であり不完全な英語で必死で教鞭を執っていたことが印象的だった。その中でインドからの留学生が不完全な英語で質問をして、もう一人のアメリカ人が議論を展開していく。学んだことはアメリカでもどこの国でも、多くの人が不完全な英語で結果を出しているのがグローバル社会であるということだ。

語学に関しても同様であり忘れてはならないのは「ノンネイティブとしての英語力」を身につけることである。いくら勉強しても英語に関しては発展途上であって、学びに終わりはない。学び続ける意思と謙虚な姿勢が大切ということに気づくことができた。

3.プライベート

一番苦労したのは私生活である。私は人と長時間喋ることはあまり得意ではなくて、日本語でも苦労するのだけれど、言うまでもなく留学生活ではこの自身の性格は相当のハンデであった。日本というフィールドを変えても自身のパーソナリティはついてまわるのであり、現地の学生と交流するのに当初は非常に苦労した。

感謝したいのはクラスの仲間に恵まれたことである。「授業で困ってないか?」「俺もスペイン語を習っているし、留学経験があるからお前の気持ちはわかるんだ。第二言語を学ぶということは大変なことだな。留学生活って孤独だし、つらいよな、だから何でも聞いてくれ」と彼は私に接してくれた。彼らの異文化を受け姿勢であったり、フランクなSay Helloの文化は積極的に吸収しようと思った。今思うと彼らのあの言葉があったから今までやってこれたのだ。

「大事なのは言葉ではない」これがプライベートから試行錯誤で感じたことだ。勿論、言語の壁は高くて、時々相手の言葉がわからなくなることも多いのだが、大事なのは相手のエモーショナルな部分を如何に感じることが出来るかだと思う。一緒に大声で笑ったり、叫んでみたり、そんなことを繰り返すうちに彼らとの距離は縮まっていった。当たり前だけど例え日本人であっても相手を完全に理解することは難しい。ならば、それでいいではないか。一緒に泣いたり笑ったりできさえすれば!と私は思ってしまうのだ。

4.負けない日本人として生きる

日本を出ると自分のナショナリティーを強く意識する。留学期間中はToyotaのリコール問題、JALの破綻とか様々なことが起きたけど、それらと連動して日本に関して意見を求めることも多かった。授業でToyotaが出てくれば、それは“Your Company”であり武士道は“Your Spirit”なのである。

留学中に志した2つの目標がある。

「負けない日本人として生きること」「日本を良くするために生きること」である。

司馬遼太郎の「坂之上の雲」に登場する秋山のように海外で学んだ「知」を日本に還元していく、日本をよくするために生きていくという情熱がそれである。海外に身を置く自分のナショナリティーを強く意識する。自分は日本人であるというプライドである。

留学時代の当初は挫折の連続であったし、自分の無力さを痛感したけれど、やった分だけストレートに答えてくれる文化がアメリカにはあった。自分の英語は通じると確信したし、日本人の私でも彼らと対等に議論できることがわかった。まだ日本も捨てたものではない。中国であろうが、インドであろうが、返り討ちにしてやる!という意気込みで猛烈に生きていきたい。

色々なことがあったけど、今回の留学はしてよかったなと思う。書き残したいことが沢山あってダラダラ書いてしまったけど、以上が「アラバマ大学留学記」でした。

10ヶ月間、有難うございました。



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